コラム

社会的復権を語ろう コラム連載「社会的復権について〜私の実践」


第2回 「社会的復権」を考える〜精神科病院での実践を通して〜

山本 めぐみ
(精神医療・権利擁護委員会 副委員長/浅香山病院 医療福祉相談室)

1.社会的復権とは何か

 精神保健福祉士の第1回国家試験が行われた1999年、私はソーシャルワーカーとして病院に就職した。就職後まもなく日本精神保健福祉士協会の倫理綱領を精読し、「精神障害者の社会的復権とは何か?私にできることは何か?」と考えはじめた。
 初めて担当した閉鎖病棟には、何十年も入院している患者さんがあふれており、とても彼らの権利が守られているとは思えなかった。「退院して地域で暮らすこと」が社会的復権だと考え退院支援に取り組み、一人の男性が10年以上の入院を経て退院することができた。精神障害者の社会的復権に少しは寄与できたのではないか、と私は喜んだ。しかし、ある日彼に「通院先を変わりたいけど、先生にダメだと言われた。」と悲しそうに相談された時、通院先さえ自由に選べない状況に置かれていることに気づき、愕然とした。退院できても権利侵害はあらゆるところで起きていた。本人でさえも気づかないうちに。人が人として当たり前に持っているはずの権利が、精神障害があるというだけで簡単に剥奪されてしまう現状を認識し、彼らが本来持つ権利を行使することができて初めて「社会的復権」なのだ、と理解するに至った。

2.社会的復権への実践

 その後も退院支援の取り組みを続けながら、いかに退院後の生活を自分らしく過ごせるかを本人と共に考えてきた。
 ある女性は恋をしたが、周囲は、お金目当てではないか?と交際を猛反対した。彼女は「それでも一緒にいられたら嬉しいの。」と、とても満足げな表情で話した。その顔は「患者さん」ではなく「恋する女性」そのものだった。私は彼女の恋を応援しながら、生活が破綻しないよう見守った。恋をすることも、大切な本人の権利のひとつである。
 また、ある女性は、高速バスで3時間かかる郷里に帰り、娘と再会することを望んでいた。反対する家族や主治医と何度も話合いを重ね、実現することができた。数年ぶりに娘と再会した彼女は、「娘にお小遣いをあげた」と誇らしげに語ってくれた。その顔は「母の顔」であった。
私は、居場所がなく自宅にこもりがちだったある男性と何度か一緒に喫茶店に行った。彼は人付き合いが苦手だった。ある時彼が「勇気を出して1人で店に行ったら、マスターと漫画の話で盛り上がった。」と嬉しそうに話してくれた。彼は「地域住民」であり「常連客」となった。
 社会の中で「患者」としてだけ生きるのではなく、さまざまな顔を見せてくれる彼女たちに私は救われてきた。その一方で、精神科病院で「患者」として一生を終える人も多くいるのが現状である。私一人だけが参列する葬儀を経験するたびに自責の念にかられる。そして、長期入院は人と人との繋がりを失わせてしまう悲しいものであり、長期入院の解消は精神保健福祉士の責務であると痛感する。

3.社会を変える視点

 現在は急性期病棟を担当している。そこには生活に疲れ果て、自ら精神科病院での長期入院を希望する人すらもいる。それほどこの社会には精神障害を抱えながら生きる人にとって過酷な現状がある。通院しながら働くしんどさを理解してもらえず退職し絶望した人、友達とのコミュニケーションが上手く取れず居場所を失った人、家族関係が破綻し孤独に陥った人、生活が苦しくなり生活保護の相談に行ったが断られ、死をも考えた人…。
 私は、彼らが再び社会の中に居場所をみつけ、生きる力を取り戻せるよう意識して今も関わり続けている。そして、彼らが再び生きていきたいと思えるような社会に変えることが「ニューロングステイ(新たな長期入院者)」を生み出すことを防ぎ、精神障害者の社会的復権へとつながるのではないかと考える。
 私たち精神保健福祉士は、彼らが抱える暮らしにくさの根底にどんな問題が潜んでいるのかを考え、「これって、おかしくないですか?」と同僚らと疑問を投げかけ合わなければならない。そうすることで、同じ疑問を抱えている精神保健福祉士等の仲間の存在を知り、 「私のクライエント」が抱える苦しみや困難が、この社会を生きる多くの人に共通する生き辛さであり、社会の課題であると気付くことができる。そして、どこにどう申し入れようか?と具体的な行動に移す手立ても見つかる。日々の実践は単なる「私のソーシャルワーク」ではなく、社会の課題の集積であり、社会を変える第一歩なのだと自覚し、「私たちのソーシャルワーク」としての行動を起こすことで精神障害者の社会的復権を目指したい。

 


 

第1回 社会的復権について〜私の実践

吉澤 浩一
(地域生活支援推進委員会副委員長/相談支援センターくらふと)

1.PSWとしての礎

 私は、大学在学中に精神保健福祉士(以下PSW)が国家資格化され、卒業と同時に資格を得た。札幌市内の精神科病院と併設の精神障害者地域生活支援センター職員として社会人1年目をスタートした。

 在学中は、実習や諸先生から受けた影響もあり、卒論としてソーシャルワーカーがセルフヘルプグループの社会資源化にどのように関与できるか等を軸に調査研究に取り組み、病院を含む地域の様々な活動にアクセスした。その中で、多くのPSWが、当事者が地域生活の実現や社会参加等の権利を行使できるようにと実践していることを体験的に学んだ。福祉労働者として二重拘束性があるとされる病院PSWも然りであり、とても輝いて見えた。さすがに真似できないと思ったが当事者がより社会の一員として生活が送れるようにと地域づくりを促すためその地域の住民になるPSWもいた。

 社会人なりたての頃に「精神障害者の社会的復権」をどれほど意識していたかはあまり覚えていないが、この権利支援を実践していた先輩方のPSWとしての在り様が自分の実践の根底にある。

2.「精神障害者の社会的復権」の実践

 新人の頃はおそらく思いが先行していた。利用者に積極的に向き合い、地域の方にも協働イベントを企画する等積極的にかかわり理想のソーシャルワークを目指そうとしていたかもしれないが、一方で病院への働きかけや、自分の価値基準と異なる職員等との連携はなおざりであった。数年経ち、退院促進のモデル事業が始まり「入院医療中心から地域生活中心へ」と政策理念が掲げられるなかで、改めて精神保健福祉士の目的に立ち返り今までのなおざりな実践を直視し、恩師・先輩から教えを乞い、同期・後輩と毎週のように理想のPSW像を求め学び直そうとした記憶がある。

 PSWの意義を再確認するなか、地域との連携、教育や就労の領域も今でいう地域移行支援と関連付けて捉えるようになったが、なかなかうまくいかないことが多く「本人には地域生活・社会生活の体験、家族や支援者には地域生活へ向かう手掛かりとなるアセスメント情報を得る機会がもっとあれば」と「お泊り機能付き相談支援」の構想を持ったのはこの頃だった。

 2009年に私事にて東京へ身を移すことになり、当時おおよそ7400床だった札幌市と違い病床ゼロという江戸川区の状況に戸惑いを覚えたが、「病床が無いなら尚更必要」と区単独のショートステイ事業を担当し「お泊り機能付き相談支援」を実践し始めた。当然マネジメントには各支援関係者、地域住民、病院、行政との連携が必要であり、各関係者をまわり、地域にネットワークを持つ方の協力を得、受入れから地域生活までの支援過程を整理し病院には啓発をした。江戸川区行政は当時「相談支援は行政の仕事」という捉え方であったが、民間事業所が行う意味もあると働きかけを続け、一方で相談支援事業所を設立し区内の相談支援事業所と連絡会を立ち上げソーシャルアクションを進める基盤を整えた。また有志と新たに小回りの利く相談支援事業所を別に立ち上げ、数年後に地域移行支援の専従職員を配置し、東京に移り10年程経った今、毎月15件以上の地域移行支援を実践している。

3.私が考える「精神障害者の社会的復権」

 協会の目的として「精神障害者の社会的復権」が掲げられ40年近く経ち、この言葉の意味を問い直す目的で調査や啓発活動が進められているが、精神保健福祉士法に精神保健福祉士の業として地域移行支援が位置付けられているように、社会的入院・長期入院の解消と予防は精神保健福祉士にとって軸ではないかと思う。精神保健福祉士がどのような立ち位置にあってもソーシャルワーカーとして本来の役割を果たしながら―かかわる当事者とその方を取り巻く環境、地域社会へ働きかけながらそれを推し進めることが「精神障害者の社会的復権」へ向けた実践だと考える。その実践を積み上げていきたい。


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